最終日のまとめ
遅くなってしまいましたが、インターンシップ最終日を振り返って自分の中で整理しておきたいと思います。
この日は、2週間のインターンシップのまとめと言うことで、私たちインターン生には情報部会研究会での発表という課題が課されていました。
午前中は、先生のSqueakを利用した授業展開の提案があり、準備に追われながら聞いていたのであまり集中して聞くことはできませんでしたが、生徒の興味をひく授業づくりのために様々な教材を活用していることが伝わって来ました。
もちろん、面白く効果的な教材探しも教員が自力で行っているものなので、作家に休みがない(日常的に“ネタ”を探しているため)ことと同じように、教員にも本当の意味での休みは無いのだろうな、と 無責任にも感心してしまいました。
お昼休みを挟んで、午後から自分たちの発表を行いました。題目は、「Publisherを利用した校内新聞・オリジナル名刺の作成について」。
インターンシップを通して、また、短期集中講座「DTP基礎」での経験を受けての総まとめ的な発表となりました。
導入
1.ラフスケッチの作成に関する説明
2.紙面構成に関する基本的な事項の説明
校内新聞作成
1.Publisherの環境設定
2.余白の設定
3.グリッドの設定
4.タイトル部分の作成
5.“止め”のシルエットの配置
6.写真のアタリ,ガイドラインの設定
7.大見出しの作成
8.小見出しの作成
9.本文の作成
10.最終的な微調整
名刺作成
1.名刺についての説明
2.グリッドの設定
3.オリジナル名刺の作成
この後、時間の都合上簡単なベクトル描画(ベジェ曲線の作成)の説明が急遽追加されましたが、以上が当日の発表のプログラムです。
これをインターン生3人で分担し、発表をしましたが、準備を始めたのが前日の午後からで、更に発表練習は3人合わせても1時間程度しか取れなかったため、ほとんどぶっつけ本番の状態でした。
私は、導入部分の1~2と校内新聞作成の1~3を担当しました。
比較的、基本的なルール、概念の説明が多かったため、さほど言葉につまることなく発表ができたのですが、パソコンの画面を覗き込みながら話しているために、顔が下を向いてしまい、一部で声が聞き取りにくくなってしまったようです。
「情報」の授業では、教員も生徒もパソコンを操作することが多くなるため、ついつい“画面越し”の授業になってしまいがちですが、実際の授業では生徒と向き合って授業をしている自覚をしっかりと持って、ときには前を見据えて、聞き取りやすい声でメリハリをつけながら説明をしていきたいと思います。これは、来年の教育実習までの個人的な課題にしておきたいと思います。
ぶっつけ本番に弱い、と言っていたかなさんも、難しい操作の説明をとても丁寧にこなしていましたし(彼女はもと放送部とあって、とても話し方が綺麗。目上の方たちに向けての発表という意味で、今回の発表にとてもマッチしていました。)、プレゼンは得意だと言っていたkouichiくんも、一切リハーサルなしだったにも関わらず、ホワイトボードや例としての新聞紙などを用いてメリハリのある発表を展開してくれました。
私たちの発表を真剣に聞いてくださった方たちには本当に申し訳ないほどの出来でしたが、それでも限られた状況の中でベストを尽くせたのは、2人の力と、沢山のアドバイスを下さった先生のおかげだと思います。とても良い経験になりました。
ただ、この日の発表の中で、一点だけ、とてもくやしい思いをしたことがあります。
それは、発表を聞いてくださっていた方の中から、私たちの新聞作成に関する発表が終わった時点で、「私なら絶対にこんなこと(こんな作成方法)はさせないですよ。」という発言が出たことです。
上のプログラムに書いたように、新聞作成において、本文を最後に流し込む形で完成させたのですが、文章がダミーで、しかも多くの方が作例と同じものを作る場面だったため、テキストボックスから予定の文章がはみ出したりと、発表において少し手際の悪さが目立ちました。自分の目を(数値ではなく見た目を)信じる、という方針のもと、最終的な微調整(写真をトリミングするか、文字サイズや行間を下げるか、文章をけずるか…など)を行ってください、というまとめ方をしたのですが、それに関して、最初から本文の文字数が決まっているのならば、先に本文から埋めていくのが絶対に効率的である、という意見で上記のような発言がなされました。
確かに、一字一句も変更の許されない職業の場面では、数の決まっているものから埋めていく方法もあるでしょう。(しかし、その場合も、見る者の目を一番にひく写真などの配置を最初に考えるのが普通なのではないでしょうか?)しかし、ここは生徒に向けた“入門”の授業という場であり、しかも生徒はラフスケッチの段階で、一字一句変更の起きないような文章を考えたりはしません。作文の授業ではなく、あくまでもデザイン・レイアウトの基礎的な授業なのです。そのことを説明してもなお、この手順を手酷く批判されたため、私ははっきり言って、その余りにも配慮に欠ける発言に唖然としてしまいました。
私たちは、この方法で、この手順で、生徒たちに教え、生徒たちはそれを信じて自分の作品を完成させ、笑顔でこの授業を“卒業”して行きました。
「私なら絶対にこんなことはさせないですよ。」という発言は、まるでその全てを否定するかのように私には聞こえました。それは余りにも、許し難いことです。
ひとは、持論を持っています。それは、個性であり、その人の言動の根底にあるものであり、その人そのものとも言えるかも知れません。
“わたくしの持論”はときに、“誰かの持論”と衝突します。そんなとき、大人ならばどう対応すべきでしょうか?当然、両者が納得するよう歩み寄るほかありません。片方の持論がもう片方の持論を圧倒して両者が納得することもあるでしょうし、両者の持論をすり合わせて納得のいく結果が得られることもあるでしょう。
その“納得”に至るためには、両者が両者の声に耳を傾けなければなりません。受け入れる姿勢でもって向き合わなければなりません。
今回の場合、私はそれがなされていたとは思いません。持論に相対する意見をはねのけるだけでは、何も良い結果は得られません。持論は、ひとの持論に触れて、より良い方向へと進化してゆくべきですから。
“人の持論を受け入れない持論”の正しさを証明することに躍起になることは、絶対に無意味です。そのような持論は、生徒を抑圧しかねませんし、その持論の正しさを証明するために生徒への教育が行われる、という本末転倒な結果をも招きかねません。
多くの行数を割いてしまいましたが、それだけ、この一件が私の心に深く刻まれたということです。
最後の更新が、楽しい話題だけで終えられなかったことは残念ですが、これも一つの良い経験です。
今回のインターンシップの2週間は、体力的には辛かったのですが、得たものはとてもとても大きかったように思います。
生徒たちの、“私が私であることを証明するためだけに生きている真っ直ぐさ”は、とても眩しかったけれど、かつての私にも確かに存在したものでした。彼らには、どうかその攻撃的なまでの輝きを絶やすことなく突き進んでいって欲しいものです。
最後になってしまいましたが、私たちインターンシップ生を担当してくださった先生、学校のみなさま、かなさん、こういちくん、関わって下さった方すべてに、感謝致します。
ありがとうございました。
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